un secolo e mia nonna

祖母の位牌には、「行年 百才」 と記された。
大正 5年生まれだったので、経験をしていない自分には
到底その凄惨さを理解することができない戦争、
どん底からの戦後復興期、日常生活が便利に変化し続ける
近代化、これらを含め幅広いレンジを生きてきたといえる。
1世紀に渡る人生、戦争という苦しい時期もあったにせよ、
トータルとしては幸せいっぱいで大往生を遂げたのだと思う。
Credo che mia nonna era felice nella vita di cento anni.


26日の通夜、昨日の葬儀、近くにいる祖母が
もう意思の疎通ができなくなっているとは信じられなかった。
命や人生について、いろんなことを考えさせられる。
葬儀からの帰り、Amore と子供 (祖母からすると曾孫) が、
祖母の想い出を話してくれた。
一番の想い出は、面白いことにトランプということで一致。
正月や夏休みなどに実家へ行った時、まだ子供が
小学生低学年までの頃は、みんなでトランプをすることがあった。
90歳を越えていても、ババ抜きや 7並べだけではなく、
神経衰弱でも負けまいという気合いを滲み出して戦っていた祖母。
一緒に遊びながら、祖母に勝ってほしいと応援していたことが、
懐かしく思い出される。
Per non solo mia moglie ma anche miei figli,
il primo ricordo di mia nonna era giocare a carte.