declino ed evoluzione

きのうの朝は、ミスをやらかした。
電車の乗り過ごし。
幸いにもウトウトできていたからだけど、それが電車タイムの後半という
運の無さだった。
といっても、降り損なった新橋の次は終点の東京。( 3分後に到着)
ホームを移動して、いいタイミングで出発の下り電車に乗れたので、
ロスした時間は結局 10分も無かった。
しかも、今年になって今までより 15分ほど早い電車で通勤することが
ほとんどなので、笑ってすませられる乗り過ごしだった。
(通勤が早めなのは、年のせいで早く目が覚めるのと、電車の席確保のために
次へ見送るゆとりがほしいことが理由)
Ieri mattina non ho potuto scendere dal treno a Shimbashi.


このミスが生まれた原因は、新しい smartphone。
通勤では、行き帰り共に smartphone で到着時刻の直前に合わせてアラームを
設定している。
およそ 3分間隔のダイヤなので、アラーム時刻は毎回確認が必要だけど、
きのうもそこは完璧だったはず。
でも実際は、設定の保存ができていなかったことがわかった。
今までとは機能も操作も違う、というのが言い訳。
アラームだけではなく操作方法が一変する新しい smartphone は、モノに
するまでにはかなりの時間が必要だし、機能によってはあきらめる
(使わない) ことも覚悟している。
頭の柔らかい figlio だったら、簡単に使いこなしてしまうのだと思う。
(実際、いくつかの操作は力を貸してもらった)
世代の違いというか、若者との歴然とした能力の差。
自分も子供の頃に、新しいモノに対して papà よりも理解が早いのが
当然のことのように自惚れていたけど、その立場が変わってのリピート
そのものだと感じる。
子供にどんなことでも教えることができるという親の立場は、ずっとは続かない。
Avverto una differenze nella generazione.