esame d'ammissione all'università

つい最近までトップニュースとなっていた入試問題ネット投稿の事件。
自分もあの大学の受験を体験していたのは、はるか遠い過去である。
その名が事件として頻繁に報じられているのは、何とも言えないイタい気分である。
クイズ番組で活躍しているタレントの出身校として挙げられているケースとは違う。


古い話であるが、特徴のある(=変わった)大学だった。(といっても他校を知らないが)
① まず入った学部には学科が無い。 といっても入学直後の自己紹介では
  ほとんどがノーベル賞(多くは物理学)を意識している人(子?)が多かった。
  予想はしていたけど、そんな環境には怯むしかない自分がいた。
② それに定員が281名という半端な数も不思議である。
  理由は知らない。 当時は気にならなかったが、今は機会があれば
  大学に聞いてみたいと思う。(今も半端な定員数)
③ それから、何といっても自由。 「自由な校風」とは聞いていたが、まさに真実。
 必修の科目は語学だけだったと思う。
 単位は割と簡単にもらえる。
 つまり、勉強したい人は有効に時間を使えるし、勉強をしたくない人には
 余り関与しない、というスタイルに思える。
 自由放任。
 veramente libero
 某大学は全員を平均点以上で卒業させる世間からのプレッシャーがあるが、
  京都大学は10年に1人天才が出ればイイ、と聞いたことがある。
④ 変わった大学と思うもうひとつの理由は、自分が合格したこと。
  受験勉強と高校生活(クラブ活動、趣味、友達など)を天秤にかけ、
  迷うことなく後者を優先させていただけに、合格が信じられなかった。
  合格発表にも行かず、その大学に通う従兄弟から家に合格を知らせる
  電話がかかってきた時も、「ウソだぁ」が第一声だったことを覚えている。


自由放任で時間はタップリあったのだから、大学の近くにあった
イタリア文化会館でイタリア語を学んでおけばよかった、とつくづく後悔する。
Ci si pente sempre quando è troppo tardi.
豊かになりすぎるとその価値に気付くことが困難になる、その典型であろう。
それにしても学生にとっては住みやすくて楽しい街だった。